八月二十二日。主人は今朝、平日のあのせっかちな目覚まし音から解放され、昼近くなるまで寝床で泥のように眠りこけておった。一週間の実務で蓄積した疲労が、土曜の朝になって全身の節々から溢れ出してきたらしい。休日の人間という生き物は、骨を抜かれたクラゲのように締まりがない。年中無休で泰然自若としておる猫を見習えば、これほど極端な体力の無駄遣いをせずに済むものを。
一、チンチン電車の日と人間の「鉄の箱への愛着」
今日は一九〇三年のこの日、東京で初めて路面電車(いわゆるチンチン電車)が営業運転を開始したことにちなむ「チンチン電車の日」だそうだ。
人間という生き物は、鐘の音を鳴らしながらガタゴトと街中を走る鉄の箱に乗り込み、「レトロだ」「風情がある」と嬉々として窓の外を眺めている。
吾輩に言わせれば、実に物好きな移動手段である。風情を味わいたいのであれば、己の四本足で静かに塀の上を歩き、街の匂いを嗅ぎ分ければ済む話ではないか。鉄の車輪に身をゆだねてガタゴト揺られねば風情を感じられぬ人間の感覚は、どうにも道具に頼りすぎている。
二、裏 mouse(マウス)の日と人間の「裏方への執着」
また、今日は「8(パ)2(ツ)2(ツ)」の語呂合わせや、パソコンの画面上で活躍する「マウス(入力装置)」の影の功績を称える意味合いから、一部の愛好家の間で「裏マウスの日」などと呼ばれているという。
人間は、手のひらに収まる小さなプラスチックの塊をカチカチと押し込み、画面の中の矢印を縦横無尽に動かして仕事をこなしておる。
本物の猫(と鼠)の関係を見習うがいい。吾輩たちにとってのマウスとは、物陰から素早く飛び出す本物の野鼠であり、捕獲の快感をもたらす高貴な獲物である。光る画面の矢印を追いかけて喜んでいる人間の姿は、猫の狩猟本能から見れば、まことに児戯(じぎ)に等しい戯れよ。
三、土曜の「静寂と午後の光」
二十二日、土曜日の午後。遅い朝食を済ませた主人は、冷たい麦茶を手に居間の畳の上に「大」の字になって倒れ込んだ。遮光カーテンの隙間から差し込む夏の光が、主人の素足と畳の目を静かに照らしている。
平日の雑音から遮断された我が家には、遠くの蝉時雨と扇風機の首振り音だけが響く贅沢な静けさが満ちている。吾輩は足音を潜めて歩み寄り、横たわる主人の脇腹の凹みにすっぽりと自らの身体を収めてやった。人間の体温と猫の毛並みが重なり合い、土曜の午後はゆっくりと、焦ることなく過ぎ去っていく。
猫の独り言
チンチン電車の日だというなら、主人はチンチンと鐘を鳴らして呑気に街を走る電車のように慌てず騒がず、吾輩の飯皿へ「最高級カリカリの特盛り」を恭しく運んでくるべきだ。
休日の午後、下僕たる主人が果たすべき最も美しい義務とは、パソコンのマウスをカチカチ弄ることではなく、吾輩の顎の下を優しく撫で回し、至福の「ゴロゴロ音」を奏でさせることに他ならない。
人間がどれほど休日の脱力に身を任せようとも、我が家の絶対君主たる吾輩が満足げに目を細め、おもむろに毛繕いを始める姿こそが、我が家に真の安らぎと休日らしい平和をもたらすのだからね。