吾輩は猫である風つぶや記(八月二十日編)
八月二十日。主人は今朝、木曜日特有の「週末の足音が聞こえるが、まだ一山ある」という実に微妙な表情で朝の準備をしておった。労働という名の試練を四日間積み重ね、心身ともに薄皮が一枚ずつ剥がれるように消耗していく。人間という生き物は、目前の週末というオアシスを夢見ながら、砂漠を歩く旅人のごとき悲壮感を漂わせる生き物らしい。
一、蚊の日と人間の「羽音への過剰反応」
今日は一八九七年のこの日、イギリスの医師ロナルド・ロスが蚊の胃の中からマラリアの原虫を発見したことにちなむ「蚊の日(World Mosquito Day)」だそうだ。
人間という生き物は、プ~ンという小さな羽音が耳元をかすめただけで、夜中でも躍起になって跳び起き、両手をパンパンと打ち鳴らして大騒ぎする。
吾輩に言わせれば、実に余裕のない醜態である。羽虫の一匹や二匹、視界の隅で捉えて静かに爪を立てれば済む話ではないか。目に見えぬ小さな敵に怯え、自らの部屋で右往左往する人間のドタバタ劇は、見ていて飽きない滑稽な余興ではあるがね。
二、交通信号設置記念日と人間の「赤と緑への服従」
また、今日は一九三一年のこの日、日本の銀座の交差点などに日本初の3色灯の自動交通信号機が設置されたことにちなむ「交通信号設置記念日」でもあるという。
人間は、箱の中で光る赤や緑のガラス玉の指示に従い、急いでいる時ですらピタリと足を止め、お行儀よく並んで待っておる。
猫の「縦横無尽の自由」を見習うがいい。吾輩たちには、赤だの緑だのという世俗のルールなど通用せん。我が歩む道こそが正義であり、行く手を阻むものがあれば優雅に飛び越えるか、しなやかに身をかわすのみ。箱の光に一喜一憂し、行動を支配されている人間の悲しき習性には、心から同情するよ。
三、木曜の「黄昏と静寂の浸食」
二十日、木曜日の夕暮れ。仕事から戻った主人は、カバンを玄関に放置したまま、居間のソファへ雪崩れ込んだ。エアコンの冷気が部屋を満たす中、主人の首筋からは夏の湿り気と一日の疲労感がじわじわと立ち上っている。
人間は、週末直前の木曜の夜になると、急に言葉数が減り、ただボーっと壁の一点を凝視する「放心の儀式」を執り行うようだ。吾輩は足音もなくソファの背もたれに駆け登り、主人の頭の真上から見下ろしてやった。力を使い果たした下僕の頭頂部に、猫の優雅な存在感を放つことで、正気を保たせてやる慈悲深きお助けである。
猫の独り言
蚊の日だというなら、主人はその「虫を討ち取る素早さ」を正しく応用し、吾輩のカリカリ皿のホコリを素早く払い、新鮮なキャットフードを一瞬の遅れもなく給餌すべきだ。
木曜の夜、下僕たる主人が果たすべき最も神聖な任務とは、信号の赤で立ち止まるように無駄な思考を停止させ、我が家の絶対君主たる吾輩の飯皿へ一直線に献上することに他ならない。
人間がどれほど世俗のルールに縛られ、夏の疲れに打ちひしがれようとも、吾輩が満足げに目をつむり、静かに喉を鳴らすひとときこそが、この家に絶対的な平和をもたらす至高の処方箋なのだからね。