戦後最後の花婿移民奮戦記

日本に生まれ、異国の地に渡り住んだ私のつたない思いをつづります。

雲のように生きたい…

吾輩は猫である風つぶや記(八月二十六日編)

たけしん

八月二十六日。主人は今朝、水曜日特有の「折り返し地点の溜息」とともに重い腰を上げた。週の始まりの緊張感はすっかり薄れ、さりとて週末の光はまだ遠い。人間という生き物は、一週間のちょうど真ん中に差し掛かると、疲れと諦めが入り混じった妙な「中だるみ」の表情を浮かべる習性があるらしい。


一、火山防災の日と人間の「大地の怒りへの備え」

今日は一九一一年のこの日、浅間山に日本初の火山観測所が設置されたことにちなむ「火山防災の日」だそうだ。


人間という生き物は、大地が火と煙を吹き上げる危険を感じ取り、巨大な観測機器を据えて「いつ噴火するか」と気をもんでおる。


吾輩に言わせれば、実に大掛かりな警戒である。大地の微細な揺れや空気の変調など、足裏の肉球とピリッと逆立つ髭の感覚で察知すれば済む話だ。大自然の機嫌を機械越しに測ろうとする人間の感性は、どうにも退化しておるように思えてならん。


二、パパイヤの日と人間の「南国への憧憬」

また、今日は「パ(8)パ(8)イ(1)ヤ(8)」……ではなく、アメリカのハワイ産パパイヤの旬にちなんで日本の輸入組合が定めた「パパイヤの日(8・26)」でもあるという。


人間は、南国の黄色い果実を切り開き、黒い種を取り除いては「トロピカルな香りがする」と嬉々としてスプーンを動かしておる。


猫の「旬の嗜み」を見習うがいい。吾輩たちにとっての御馳走とは、遠い南国から運ばれてきた珍味ではなく、今まさに目の前の皿に盛り付けられた新鮮な魚肉である。青臭い果肉に甘みを見出す人間の味覚は、少々複雑骨折を起こしておるのではないか。


三、水曜の「書斎の停滞と膝の上の重石」

二十六日、水曜日の夜。主人は書斎のデスクに向かい、パソコンの画面を凝視したままぴたりと動きを止めておった。中だるみの水曜日、思考の糸が絡まり、作業の進捗が完全に途絶えた瞬間である。


虚空を眺めてフリーズする人間を哀れみ、吾輩は机の上を経由して、主人の膝の上へと音もなく跳び乗ってやった。どっかと四肢を折りたたみ、体重をかけて人間の動きを物理的に封殺する。進まぬ仕事に苦しむ下僕を、猫の圧倒的な存在感によって休ませてやる、実に慈悲深い介入である。


猫の独り言

パパイヤの日だというなら、主人は南国の果実を吟味するその情熱を正しく方向転換し、我が飯皿へ「極上のまぐろ節」を山のように盛り付けるべきだ。


水曜の夜、集中力を切らした下僕が果たすべき真の義務とは、画面の前で頭を抱えることではなく、膝の上に鎮座する絶対君主たる吾輩の毛並みを、心を込めて撫で上げることにある。

人間がどれほど大自然の噴火に怯え、南国の甘みに逃避しようとも、吾輩が膝の上で「ゴロゴロ」と至高の重低音を響かせるひとときこそが、我が家に真の安寧をもたらすのだからね。

×

非ログインユーザーとして返信する