戦後最後の花婿移民奮戦記

日本に生まれ、異国の地に渡り住んだ私のつたない思いをつづります。

雲のように生きたい…

2022年11月13日 日曜日 上達しない日本語

とくに戦後、日本人は世界に散らばっていった。
アメリカ、ヨーロッパ、アジアの各地域へと。
私は、ブラジルへ渡り、久しい。


ここで、少し、ブラジルにおける日本語教育の現状を述べてみたい。
まず、ブラジルに住む人のことをブラジル人という?


あっていますか、これ?
ブラジルには、ブラジル人と非ブラジル人がいます。
これは、数学の排他的な表現。


・ブラジル人というグループ
・ブラジル人でないというグループ


この二つに分かれるはずです。
さて、このようにグループを二つに分けられるとすると…
世界に散らばった日本人の血を受け継いだ人とそうでない人、つまり、


・日系人というグループ
・非日系人というグループ


というグループに分けることができると思います。
さて、日系人といえば、どんなことを想像するかというと…


日本人のような顔をした人を思い浮かべますよね。
日本人特有な骨格、最近は、変化が見られますが、スポーンと痩せて背が高い人も
多々見られるようになりました。戦時中は、食べ物がなかったので、背も小さく、
力仕事が主だったので、みんな骨太で骨格がよく、歳をとると、作業の恰好から、腰が曲がった人がたくさんいたものでした。


さて、話がそれてしまいましたが、
日系人と非日系人のグループの二つにブラジルに住んでいる人を分けるとしましょう。


そうすると、この両方のグループの人が、日本語を学んでいるとします。
どちらの伸びがいいかというと、個人差にもよりますが、たいてい、非日系人が伸びがいいです。日系人のほうが伸びるような気がしますが、ほとんど伸びないといってもいいくらいです。


日系人と言っても、非日系人の血も混ざってきているので、一概に、日本人的な容姿をしているとは限りません。名前にかろうじて、日本的な名前が残っているということも少なくありません。


では、なぜ、非日系人が、よく日本語を覚えるのでしょうか。
それは、


・日本語を学習する目的の差。


この一言に尽きるでしょう。
非日系人は、日本語を学習することを目的に受講します。日系人と呼ばれる日本人の子弟は、日本人だから、日本語くらいはできていいないと…程度の考えで、親がまるで、日本人のしきたりのように日本語学校に入れるため、伸び悩むのです。


本人の日本語をやろうという意欲が、上達を助けているのです。非日系人と言われるグループに所属する人たちは、日本語の学習に何かを求めているのです。たとえば、日本語能力試験3級を取れば、手当てがつく、アニメが好き、日本文化が好き、日本の精神が好きなど、何等かの日本語を学びたいという気持ちが働くため、興味、関心の度合いが違うのです。


現在、ブラジルでは、日系4世、5世、6世の世代になっています。日本の血があるから、日本語を学ぶというには、もう、古い考え方なのかもしれません。


大切なことは、日本語が母国語だった人、日本語が外国語な人、様々な人がいますが、学習機会を与えられるのではなく、学習機会を得られるように努力するのとでは、言語の成長がまったく違うのだと私は思っています。


やる気のない人に日本語を教えるのは、教える人も学習する人も、お互いに苦痛でしかない、無駄な時間を過ごしているということに、少しでも気が付いて、学習意欲を向上させることによって、日本語の学習レベルが向上するのだと思います。


教える方法も大切ですが、学習する本人の学ぶ目的をはっきりさせることが、


日本語を上達させる秘訣


だと思います。ちなみに、ブラジルの日本語教育は、外国語として日本語を教育しなければいけない状況に来ています。日本語を母国語としている人には、国語を勉強することで上達することができますが、現在のブラジルは、外国語として日本語を教えなければ、だれも、学習の効果を見込めません。また、教える側は、バイリンガルであることが望ましいです。バイリンガルといっても、両方の言語に精通していることが条件になります。生徒の間違える理由は、バイリンガルでなければわからない場合が多いのです。


日本語を知っているからと言って、日本語を教えることができるというのではなくて、基本的に両方の言語、ブラジルの場合は、日本語とポルトガル語の両方に精通しておく必要があると思います。


言語教育って、面白いですね。私は、教えているわけではないですが、なんとなく、最近、横眼でちらちらみていると、それなりの状況がわかってきたようです。

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