Covid-19が純粋な病気として扱われず、
政治的に扱われている悲しい現実がある。
わざわざ、病名に地名をつけず配慮したのにも関わらず、
中国だ、アメリカだ…
ひいては、
クロロキーナを使っていくら死んでもほんの少しの希望に託そう…
そういうブラジルのボルソナーロ大統領は、人権団体から訴えられている。
しかも、自ら率先してマスクを外し、外出しても大丈夫
5千人死んだって、なんのその。
年間5万人、殺人で命を落としている人がいるのに比べたらずっと少ない、
大丈夫だと豪語し、現在の死者数は2万人を突破。3月末から5月末の
たったの2か月間でである。
それでも、少ない死者数と豪語するボルソナーロ大統領は
Mussoliniの言葉を引用し
独裁者ぶりを発揮していながら、
民主主義を主張する。
実際問題、ブラジルの国民の多くは、労働党に政権を続けてほしくなくいまのボルソナーロ大統領を選び、現在の悲劇が生まれているのである。
これから、政治に使われ人の命をいとも簡単に奪うこのCovid-19はどうなっていくのだろうか。どう考えてもすぐには収まる気配を見せてはいない。
私自身、在宅勤務を余儀なくしており、外出自粛緩和政策が打ち出されたからには、あと少ししたら、見えない兵器Covid-19の集中砲火を浴びることになるのかもしれない。
ブラジルで人工呼吸器を装着されたら、3人に2人は死んでいるという悲しい現実をだれもどうのこうのという人はいない残念な国民なのである。
外出自粛が解かれ、マスクなしで闊歩し、息ができなくなって病院にたどり着くか、野垂れ死にするかになったとき、はじめて気が付く国民性なのである。
悲しい毎日を送る私がここにいるのである。
今のところ、息はできている。