戦後最後の花婿移民奮戦記

日本に生まれ、異国の地に渡り住んだ私のつたない思いをつづります。

雲のように生きたい…

2022年01月06日 金曜日 正月

実は、正月って仏教伝来の6世紀半ばよりも以前からお祝いしていたらしい。


もし、そうだとすると、日本最古の現存する今なお行われる行事なのかもしれない。
お正月の「正」の字は、


きちんとする
改める


という意味があって、年の初めの月を意味しています。
つまり、旧年が無事に終わって、その感謝の気持ちを表すとともに
新年の豊穣を司る歳神様のお迎えをする月なのです。


1月3日までを「三が日」、7日までを「松の内」と呼び、この1週間がお正月。


お正月の準備といえば、


江戸城の「すす払い」が由来の大掃除。
門松を飾り、しめ縄を飾り…。


これらの準備は、
歳神様をお迎えしようというためのものだったのです。


この門松は、歳神様が降りて来るときの目印に飾り、
しめ縄は、周囲の汚れを絶った清らかな場所だということを示すために飾るのです。


明けましておめでとうございます


この挨拶は、もちろん、歳神様をお迎えするお祝いの言葉であり、


「芽出度い(めでたい)」


つまり、新春を迎え、芽が出るという意味が込められていたのです。


お正月に食べるおせち料理は、「御節供(おせちく)」の略で、平安時代から、宮中でこの日に神様にお供えをして、「節会(せちえ)」というお祝いの会を開き、盛大にお祝いをしていた時に出された料理のことです。これが、「御節料理(おせち料理)」となり、江戸時代になると一般庶民もこの宮中行事である「御節供(おせちく)」が全国に広まっていき、一般庶民にも親しまれるおせち料理になったのです。


お正月に遊ぶ凧揚げは、平安時代に日本に伝わり、年の初めに男の子の出生を祝って、健やかに育つようにという願いを凧に乗せて天に届ける儀礼だったそうです。江戸時代には、この凧揚げは、一般庶民も楽しんでいたそうです。


あの羽根つきは、室町時代頃、日本に伝わりました。
羽つきに使う羽には、「ムクロジ」という植物の実が使われていました。
このムクロジ、漢字で書くと


「無患子」


と書きます。


子どもが煩わないように…


新年の厄払いと一年の無事を願うものだったのです。


羽を落とすと顔に墨を塗られますね。
これは、魔除けのおまじないだったそうです。
みんな、顔に墨をつけられないように、逃げましたけどね。


この羽根つきの羽子板は、江戸時代、人気役者、美人画が描かれた羽子板が流行しました。この頃から、可愛いお嬢さんが美しい羽子板を持って、しゃなり、しゃなりと歩くようになたのでしょうね。


正月って、調べてみると面白い。

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