戦後最後の花婿移民奮戦記

日本に生まれ、異国の地に渡り住んだ私のつたない思いをつづります。

雲のように生きたい…

2022年07月29日 金曜日 読者数の非表示

村ゴンでは、読者数を非表示にすることができるようになった。


非表示を好むということは、読者数で何かしらの評価を受けているから、または、受ける可能性があるからだろう。やはり、読者数が少なければ、


・読んでも大したことない。
・信用がないブログ。
・興味のないブログ。


だから、読まないし、読もうともしない。しかも、村ゴンのサイトで新着ブログなんて紹介されないだろうから、せっかく書いたブログも読まれない人気のない記事になるという懸念があるからなのだろう。


私は、ブログの読者数を気にしたことはない。しかも、ほとんど、他のブロガーさんとも交流すらしていない。いわゆる、自分の思ったことを書き散らかしているだけである。これで、社会的に影響を及ぼそうとも考えていない。インフルエンサーになろうとも考えていない。だから、数の論理に無頓着なだけである。自由奔放に書くことに喜びを感じているのである。たとえば、本を出版するために原稿をワードを書くとする。それは、あなたのPCがスタンドアローンで働いていたり、自分のフォルダにデータを保存していたりしたら、ハッキングをされない限り、だれにもみられることはない。私の場合、公共の場に自分の考えをさらけ出して、その内容を誰かが見て、なにか感じてくれたらそれでいいと思っている。もちろん、私なりのものの見方、書き方なので、稚拙であり、校正すらしていないので、間違いも多々ある。でも、気にせず書いているだけである。ただ、見ている人は見てくれるので、それはそれでうれしい限りである。でも、人気ナンバーワンでもないし、どちらかといえば、人気もないし、だれも読んでないといってもいい文章をただひたすら書き続けているだけのことである。それでも、私の文章を無料で世の中に残して置けること自体が私のしたいことであり、本を自費出版するよりも安価であるし、手軽にできる手段なので、私は書き続けているだけのことである。


話が読者数の非表示からそれてしまったが、数の論理に敏感な人たちが世の中には、多いということが心配だと思う。元々、表示していたものを非表示をする選択肢を与えられると、それはそれで、改善されたと思うのが当たり前。ということは、なんらかの不利益を被る人がいたと考えるのが当たり前。昔はテストの点数が公表されていた学校。いまは、そんなことはしない。なにもかも、隠して、数の論理で社会を動かさないという風潮がある。ところが、2チャンネルのように実際は、数の論理がものを言っている。ただ単に、いいねの数、読者数の数がものをいうので、とりあえず、見た目、わからないように隠しておきましょうということなのだろう。


数を隠すことで、数の論理が働かなくさせ、みんなが安心してブログを書ける…という風に制度を変えるよりも、私は、数を気にしない人が増えるほうがいいと思う。制度を変えることで恩恵を受けようとするよりも、自分の気持ちを変えたり、考え方を変えることで、気持ち良くブログを書くほうが、私は、楽しいのである。


私の基本は、


書きっぱなし。
書き散らかし。


なのだから。


読者数の非表示について、ふと思った。

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