戦後最後の花婿移民奮戦記

日本に生まれ、異国の地に渡り住んだ私のつたない思いをつづります。

2018年07月07日 土曜日 禁止…

先日、雲梯から落ちた人がいた。


『のぼらない』看板ができた。


でも…
私は、本当に『禁止』することがよいのかわからない。


危ないから…禁止する。
問題があるから…禁止する。


『禁止』することは簡単である。でも、本当に『禁止』すればよいのだろうか。


大切なことは『禁止』することではない。
『禁止』したら、かえってやりたくなるし、意味がない。


実は、問題の焦点は、『何に問題があるのか』を考えさせなければいけないということ。


『禁止』すれば、その禁止事項を守らなければ、指導をすればいいということで教える側は簡単である。でも、その禁止事項をすること自体に問題があるのであり、したことに指導をしても意味がない。事故の再発防止を考える場合、私は、事故を『予防』する対策をしたほうがいいと考えるからだ。


なぜ、危ないのか…
どうして、いけないのか…


問うことが大切だと思う。
やってしまったことを指導しても意味がないのだ。
やる前に、『もし、したらどうなるだろうか』を考えさせ
それでも、やる(・・?
ってなれば、注意を払うだろう。


最近の子どもは『生きる』ことに無防備である。
してはいけないことをしなければ、安全に生きられるから。


確かに、禁止すれば、安全に生活できる。
でも、生き物の世界は、そうではない。
周りに注意して、警戒しながら、みんな生きているのである。


唯一、『遊び』という行動をもつ動物、ほ乳類。


その安全に『遊び』ができるように、『禁止』事項を増やしても
そのうち、『禁止』事項だらけの世界になって、


無防備で
危ないことを知らない『人間』が出来上がる。


そして、そんな人たちが、あの『地下鉄サリン事件』という恐ろしい
無作為大量殺人事件を巻き起こした。
主犯のほとんどが高学歴だった。
やっと、死刑が執行されたと、被害者、遺族の方々は思っていることだろう。
死刑…は究極の刑である。その執行については、また、別な機会に書き記したい。


きっと、彼らは『禁止』されたなかで生きてきた人間に違いない。
いいことばかりやっても
その結果、ダメなことがどんな風にダメなのかわからない人間ができるということの代表のような気がする。


ダメなこと
危ないこと


を『禁止』すればするほど…
私は


ダメなこと
危ないこと


が増えるような気がしてならないと思った。
そして、結局、事態は変わらないどころか…


現在の事態が改善されただけで
将来の事態は最悪になるような気がしてならないのである。

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