戦後最後の花婿移民奮戦記

日本に生まれ、異国の地に渡り住んだ私のつたない思いをつづります。

雲のように生きたい…

2020年08月05日 水曜日 訃報…

2020年(令和2年)8月2日 午前2時12分 誤嚥性肺炎のため父は寂しく息を引き取った。87歳だった。
1932年(昭和7年)10月1日に生まれ、昭和を駆け抜けた。


私が若い時、よく戦争中のことを聞かされた。
もの食いの悪かった私は、よく父に


「配給だから食べなさい」
「出されたものは残さず食べなさい」


といわれながら育った。病気がちで食の細かった私は、厳しい口調で言う父をよそに
残していたのを覚えている。
母は、料理が下手で、食が細いうえにまずいと来たら、どんなに空腹でものどを通らなかったのである。


米軍キャンプでバイトをし、新聞を配達して肥溜めに落ちながら、歯を食いしばって
戦後の動乱を生き抜いた父。その時に英語を覚え、私が中学の時に父から教わったものだ。


疎開もせず、東京の目黒で戦後動乱の日々をたくましく生き抜いた父は
一人寂しく病室で弟に看取られながら、息を引き取ったのである。


米寿を目の前にし、
母の施設に移る直前の出来事であり
年とは言え、
寂しい限りである。

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