戦後最後の花婿移民奮戦記

日本に生まれ、異国の地に渡り住んだ私のつたない思いをつづります。

雲のように生きたい…

2017年06月21日 水曜日 冬至…

また、会議から始まる水曜日。
今日は、児童・生徒がいないから楽といえば楽。
スクールバスも運行しないから。


さて、本日は、冬至。
ゆず湯にゆっくりつかりたい。
そして、一日の疲れを癒したい。
私が、ちっちゃいころにゆずの皮を小さく切って、
ボロ切れに包み
ほのかなゆずの香りを感じながら、
湯舟に身を沈め、ゆっくりと体を温めたものだ。
それが、私にとっての冬至だった。
そして、「とう」のつく野菜を食べた。
醤油で煮込んだかぼちゃは、私は大好きだった。
食べているうちから、汗がでた。
体が温まった。
そんな食卓はもう、ない。

一年間のうち、一日の陽が最も短い日。
夜が一番長い日。
そんな日が、今日。
長い夜を大切にしたい。

夜は作業をするより休息に当てたい。
でも、それがなかなかできない毎日。


目の検査の結果もでた。
ちょっと胸をなでおろしている。


人は、健康のありがたさをなかなか感じない。
人は、きれいなところがふつうとしか感じない。
人は、もののありがたみを感じない。


目立つことのない…
色んな些細な努力や作業が、どれだけ世の中に役に立っているのかわからない。
そんな人々が大半を占めている世の中。
でも…

目立たない努力こそが、この世の中を支えているということを
忘れてはならない。


なぜ、駅の階段がいつもごみがないのか。
なぜ、ご飯を食べられるのか。
なぜ、学校で勉強ができるのか。
なぜ、平穏無事な日々を過ごすことができるのか。
なぜ…


を考えてみるといい。
そこには、たくさんの人たちの


見えない
だれも見ない
だれも感じない
だれも考えない


ちょっとした簡単な作業の日々の繰り返しがあるということに気付くべきだ。
その積み重ねが
みんなの普通の生活を支えているということに感謝しなければいけない。


ありがとう」という機会がない
そんな中、淡々と作業をしている人々いるのをみんなは知っている。
でも、そんな人々に日々感謝している人がどれだけ、いるだろうか。


わたしには、ほとんどいないと思う。
当たり前


すべての些細な作業は、「当たり前」であり、感謝に値しない…
そんなふうに考えている人々が大半を占めている世の中。
そうとしか思えない。


そうでなければ、
わざわざ感謝の気持ちを表すイベントを設ける必要はない。
そうでなければ、
わざわざ感謝する週間を設ける必要はない。


大切なことは…
週間を設けることではなく、習慣にすることだ。


それが、わからない人が多い。


学校で勉強をする。
頭を使いなさい。
考ええなさい。
とよく言われる。


勉強は
頭を使わなきゃ…
確かにそうである。


でもね、
勉強は、体で覚えるもの。


頭で覚えたことなんて、試験をすれば、忘れちゃうよ。
体で覚えたことは、一生、ボケたって忘れない。


信じなられないければ、実行してごらん。


つかの間の「ありがとう」なら、聞きたくもない。
ありきたりの「ありがとう」なら、いらない。
練習した「ありがとう」なんて、必要ない。


私が必要なのは、
心の底から感謝している
ちっちゃな不器用な「ありがとう」


それは、習慣にして、体で覚えた「ありがとう」だからだ。


そんな、「ありがとう」をいつか、聞きたいなぁと冬至の一番長い夜のひと時に思った。

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