戦後最後の花婿移民奮戦記

日本に生まれ、異国の地に渡り住んだ私のつたない思いをつづります。

雲のように生きたい…

2020年08月05日 水曜日 訃報…

2020年(令和2年)8月2日 午前2時12分 誤嚥性肺炎のため父は寂しく息を引き取った。87歳だった。
1932年(昭和7年)10月1日に生まれ、昭和を駆け抜けた。


私が若い時、よく戦争中のことを聞かされた。
もの食いの悪かった私は、よく父に


「配給だから食べなさい」
「出されたものは残さず食べなさい」


といわれながら育った。病気がちで食の細かった私は、厳しい口調で言う父をよそに
残していたのを覚えている。
母は、料理が下手で、食が細いうえにまずいと来たら、どんなに空腹でものどを通らなかったのである。


米軍キャンプでバイトをし、新聞を配達して肥溜めに落ちながら、歯を食いしばって
戦後の動乱を生き抜いた父。その時に英語を覚え、私が中学の時に父から教わったものだ。


疎開もせず、東京の目黒で戦後動乱の日々をたくましく生き抜いた父は
一人寂しく病室で弟に看取られながら、息を引き取ったのである。


米寿を目の前にし、
母の施設に移る直前の出来事であり
年とは言え、
寂しい限りである。

2020年07月29日 水曜日 感染ピーク…

感染ピークを迎えないまま
職場出勤…
定期的なCovid-19の検査とか
考えてるんだろうか。
ウィルスフリーかどうか
確認する必要性を考えない人たちって
安易なんじゃない(・・?

2020年07月29日 水曜日 Covid-19…

ブラジルにおけるCovid-19の死者数は
毎日、千人。
2億人強いるブラジル人からすれば、少ない。
必要のない死が毎日、千人でていることを軽視する風潮があるのが、
悲しいことだ。


集団免疫の考え方は
簡単に言えば、


国民が2億人いるとすると
国民の二人に一人がCovid-19に感染し、
100万人の尊い命が亡くなること。
そのとき、その集団はCovid-19に対して免疫ができるとする考え方である。


この数字は医療崩壊も起きず、経済的打撃も受けずという理論的な数値である。


ブラジルは、なすすべがなく結果的に集団免疫をつける方向に向かっている。
本当に大丈夫なのだろうか。
死者数も感染者数も
増加率が一定になった、つまり、高止まりで拍手喝采する
サンパウロ州政府だが、
非常に危険な状態であることを憂うことがないのが残念なことである。


感染ピークも迎えることなく
自分自身の職場も在宅勤務から、従来の職場勤務へと移行する。
こういうときこそ、
働き方改革を見直し、新しい安全な心身ともに健康でいられる働き方を模索すべきだが、
いつも、後戻り、後ずさりすることの方が多いように思うのは
私だけだろうか。